Text SSや考察など

手枕の子守歌

 ノックの音で男は体を起こした。
 廊下に気配を感じた時点で目は覚めている。己の身一つで幾度も修羅場を潜り抜けてきた事を証明する、男の癖だった。

 「誰だ?」

 ベッド脇の小机に置いておいた帽子を頭に乗せながら誰何する。
 足音で誰かは分かっていた。それを踏まえた上で敢えて尋ねたのは、相手を慮っての事である。

 「アル兄ぃ・・・。私だけど。」
 「入って来いよ、ミシャ。」

 部屋のドアを開けて入ってきたのは、クラスタ系の少女だった。青紫を基調とする衣の長い袂をなびかせ、足元は下駄特有の軽い足音を纏わせている。

 「えへへ。ごめんね、寝てたのに。」

 そろそろ“少女”から大人の女性へと変わろうとする容姿に似合わず、何処かあどけない様子で少女は言った。

 「どうしたんだミシャ?こんな時間に。」

 男は体に掛けていた布を退け、そのままベッドに座る。

 「・・・ねえ、何で部屋の中で、しかもベッドに入っているのに帽子被ってるの?」

 男の帽子を見咎めたミシャが言う。

 「何でって・・・今更お前がそれを訊くか?俺達テル族は――」
 「角を隠す為だってのは分かってるわよ。何で寝るときまで被ってるのかって事。誰も見てないのに。」
 「あのな・・・。お前が入ってくるから今被ったんだよ。」
 「何だあ、びっくりした。まさか寝ている間も被ってるのかと思っちゃったわ。」
 「そこまでするか!寝てる時位、帽子は取ってるよ。」

 先刻からアル兄ぃと呼ばれているこの男の本名はアルモニカと言うが、普段はジャックと呼ばれている。己の出自を知られぬ為の偽名だった。
 アルモニカ――ジャックはテル族である。おおよその姿形こそ似ているが、人間とは全く異なる種族であり、尻尾や角など、竜族にも似た特徴を持つ。本来それらを人前で曝すのははしたない事とされているのである。

 「で、何だこんな遅くに。

 話を本題に戻したジャックに、ミシャはゆっくりと歩み寄る。

 「・・・・・・。・・・あ、あのね。」
 「何だ?添い寝でもして欲しいか?」
 「・・・・・・。」

 冗談のつもりで言ったのだが、返事が返ってこない。

 「図星か。」
 「うっ・・・。」

 見ればミシャの顔は真っ赤になっている。そういう処は、昔から変わらない。小さい時でも、大きくなっても。
 思わず吐いた溜息には、呆れと同時に愛おしさが込められていた。

 「別に、クルシェでも良いだろうに・・・。」
 「だっだって、クルシェは・・・。」

 年下だもの、と消え入りそうな声が続いた。
 部屋の真ん中でもじもじと立ち尽くすミシャを眺めながら、ジャックは思わず吹き出した。

 「全く、変わってねえなあ。そういう見栄っ張りな処は。」

 ミシャがまだ幼かった頃、大量の本を読み漁っていた。
 「知らない事があるのは嫌だ」と言っては、自分ならば5分で投げ出すような分厚い本を広げていた事を、ジャックは思い出す。
 良く言えば「負けず嫌い」、悪く言えば「見栄っ張り」。
 ジャックがそんな風に考えている事を知ってか知らずか、俯いたままのミシャが不意に再び口を開いた。

 「それに・・・。」

 そこで口を噤んだミシャは、駆け出すようにジャックの首に飛び付く。

 「うわっ!」

 ミシャにしがみ付かれ、その勢いでベッドに倒れ込むジャック。
 程好く硬いベッドのスプリングが、2人を乱暴に包み込んだ。

 「おいミシャ・・・!」

 「アル兄ぃの温もりを、覚えておきたいから・・・。」

 小さく囁かれたその言葉は、触れ合う体を通して響き渡る。

 「ミシャ・・・お前・・・。」
 「明日、クレセントクロニクルに行ったら、そしたら、もう・・・。」

 ジャックの肩口に顔を埋めたミシャの声は、小さく震えていた。

 「もう、アル兄ぃと、皆と、一緒にいられなくなる。私、また独りぼっちになっちゃう・・・。」
 「ミシャ・・・。」

 右手をミシャの背中に回して、あやすように撫でる。

 「だから、覚えておきたいの。アル兄ぃの温かさ。独りでも、寂しくないように・・・。」
 「ミシャ・・・。怖い、か?」
 「・・・怖いよ。」

 縋り付くように、ミシャの両手に力が篭る。

 「怖いよ、アル兄ぃ・・・。もう独りになりたくなんてないの。クルシェとドッコイ定食食べに行きたい。ライナーとネモの公園でデートしたい。アル兄ぃと一緒に、世界中を旅したい。もっと皆と一緒にいたい。・・・怖くて寂しくて、どうして、何で私が星詠なの?・・・寂しいよ。怖いよ。アル兄ぃ・・・私、わ、わたし・・・。」

 嗚咽に混じって吐き出される想いは、やがてゆっくりと、ジャックの中に消えていった。

 「・・・なあ、ミシャ。」

 ジャックは目を閉じながら小さな声でそっと告げる。

 「逃げるか?」
 「・・・え?」
 「俺とお前の2人だけで、今すぐ、この宿を出て、イム・フェーナを出て、世界の果てまで行くのさ。どうだ、ミシャ。」
 「そんな・・・アル兄ぃ!」

 驚いたミシャは体を起こそうとジャックの体の上でもがいた。

 「嫌か?」
 「だって、そんな事したら、世界が・・・!」
 「ああ、いつか滅びちまうだろうな。」

 目を閉じたまま返す。己を見下ろす目が、見えない筈の視線がジャックの心の一部を焦げ付かせる。或いは罪悪感という名の、或いは自己欺瞞という名の、或いは、偽善という名の、それを。じりじりと焦がされた想いの痛みをしかし己の中にしまい込み、他に表す事無くジャックは言葉を続ける。

 「だけどな、俺に言わせりゃそんな世界、滅びて当然だ。」

 剥き出しの想いは隠された想いを剥き出しにする。

 「たった一人の女に全てを背負わせて、生贄にして、何が平和だ。」

 星詠という心に隠された、ミシャという心を。

 「そんな偽りの平和に安堵している奴が沢山いるから、何も変わらねェんだ。この世界は。」
 「アル兄ぃ、それは・・・!」
 「だからお前が独りで泣くしかなくなる。そうだろ、ミシャ。」
 「・・・・・・。」

 目を開ける。真っ先に飛び込む、ミシャの顔。光を歪ませきらきらと輝く、緑の瞳。
 ぽたりぽたりと頬から落ちる涙を、ジャックの頬が受け止める。

 「・・・・・・アル、兄ぃ。」

 見開かれた目が閉じられる。零れた涙の粒は、ジャックの頬に、ぽたりと落ちる。

 「ミシャ。今からイム・フェーナを出るか?」

 横に振られた頭につられて、左右の細い三つ編みがふるふるとはねる。

 「・・・駄目よ。それは、出来ない。」
 「・・・そうか。」
 「ええ。だって、皆戦ってる。敵とかそういう事じゃなくて、皆、逃げないで今ここに立ってる。ライナーも、クルシェも、オリカやラードルフだって、逃げないで闘ってる。アル兄ぃも、ね。」

 開けられた目から、涙は零れない。

 「私だけ逃げる訳にいかないじゃない。」
 「本当に、それで良いんだな。ミシャ。」

 無言のまま、首が縦に振られる。
 再びジャックの体に預けられるミシャの体。ジャックはミシャの腰に愛おしく右手を回し、強く自分に引き寄せる。

 「・・・ミシャ。本当に、悪かったな。」
 「え・・・?」
 「本当なら、お前が役目を終えるまで、俺が毎日クレセントクロニクルに行って、少しでもお前と一緒にいるべきだったんだ。」

 リューンの系譜に与えられた、星詠という呪われし使命。
 クレセントクロニクルという名の檻の中で、ただ謳い続ける為だけに作られた、レーヴァテイル。
 物を食べず、眠らず、誰かと出会う事もなく、陽の当たらぬ場所で孤独に生き続ける少女。
 その存在を護るべき筈のジャックは、しかし己の運命を変える為に、9年前ミシャの前から姿を消した。
 或いは、己の宿命から逃れる為に。

 「まだほんの子供に過ぎないお前が、それでも己の宿命の重さを理解して孤独に耐えてるっていうのに、いい年した大人が、それより遥かに軽い宿命に怯えて逃げ出すなんてな・・・。」

 力が無いのが怖かった。その想いに蓋をする為に、力だけを追求した。魔法を使うテル族にあって魔法の一切を持つ事が出来なかったジャックは、それ故に力を求め、ミシャを置き去りにしてまで世界へと旅立ったのである。

 「アル兄ぃ・・・。」
 「だが、もう俺は、今度は逃げねえ。二度とお前を置いてどこかに行ったりしねえ。」

 誓いを込めて、ベッドに放り出していた左手もミシャの腰へと回す。
 一瞬ミシャが体を強張らせた。
 重く硬い左手は思うように動かせず、無骨にミシャの背中を撫でる。
 暗く光を反射する、機械義手の左手。
 それが、ジャックが獲得した力であり同時に力を求めた代償であった。
 戦闘の最中に左腕を肩から失ったジャックは、クルシェによって長大なガトリングガンを備えた機械の義手を手にしたのである。
 ジャックの首に巻きついていたミシャの右手が緩められ、ゆっくりと機械の腕を撫でていく。

 「アル兄ぃも、大変だったのよね。」

 冷たい肌触りはミシャの温もりを吸い込んで、仄かに熱を帯びる。

 「なあに、自業自得ってヤツさ。気にするな。」

 華奢な指先が刃物で切られた痕を辿り、打撃で軽く凹んだその淵をなぞる。実際にその軌跡を感覚する術はなかったが、それでもその温もりは確かにジャックの中に入っていった。

 「・・・ねえ、アル兄ぃ。」
 「あん?」
 「ありがと、ね。」
 「何だいきなり。」

 するすると下ろされたミシャの右手が、ジャックの手に重ね合わされる。きゅっと、握り締める。

 「ううん、何でもないの。ただ、言いたくなっただけ。」
 「・・・・・・。もう寝るぞ。ほら、早くベッドに入れ。」
 「あれ?アル兄ぃ、もしかして照れてる?」
 「ばっ・・・違ェよ!ほら、早く退けって。重いだろうが。」
 「・・・アル兄ぃ、“疾風迅雷”と“凱亜爆砕”と、どっちがいい?」
 「どっちも勘弁してくれ・・・。」
 「冗談よ。ほら、アル兄ぃも、帽子脱ぐ!」
 「わっこら止めろって。せめて明かりを消してから・・・。」
 「問答無用!えいっ。」
 「だーっ!止めろーっ!」
 「ほらアル兄ぃ、大声出さないの。他のお客さんに迷惑でしょ?」
 「だったら帽子を返すか、明かりを消すかしろ!頼むから!」
 「はいはい。じゃ、電気消すわよ。」
 「そうしてくれ・・・。」

 ミシャは明かりを消すと先にベッドに入ったジャックの隣りに潜り込む。

 「アル兄ぃ、おやすみなさい。」
 「おやすみ、ミシャ。」

 月は静かに窓から去っていく。
 互いの温もりを抱きしめ合いながら、ジャックとミシャは眠りに就いた。

 翌日。

 「何やってんのさ、2人共。」

 ミシャが部屋に居ない事をいぶかしんだクルシェは、ジャックの泊まっている部屋のドアを開けると同時に大きく溜息を吐いた。

 「た、頼むクルシェ・・・助けてくれ・・・。」

 青色吐息で懸命に助けを乞うているのはジャックである。
 ベッドからずり落ちた掛け布の上で、うつぶせのまま苦しそうにもがいている。義手があらぬ場所にある為に、身動きが上手く取れないらしい。

 「ミシャの寝相の悪さ、知らなかったみたいだね。」

 何度かミシャと相部屋になった事のあるクルシェが言う。
 がくりと大きく頭を垂れたジャックの上で、すやすやとミシャが安らかな寝息を立てていた。


          了


わたくしはかみのしもべ。わたくしはあなたのとも。


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